こだわりにこだわり抜いた自己満足の生活を目指して

脱サラ→個人事業主。世間のルールじゃなくて独自のルールで生きてるよねと言われるので、それがどう人生に作用するのかの記録です。

究極の原点回帰。「日本人であること」だけが私のアドバンテージとなる。

とにかく日本から離れて無事現地に着きさえすれば何らかの形で人生が変わる。


この時はそう信じていました。


まーーーーーーったく英語も話せないし、友達もいない。


完全に一人。


すべてリセットして、すべてのものから離れたかった。


人生やり直したかった。(20代半ばのくせに)



現地は英語圏ではなく、私のつたない英語はもっと通じないような国でした。


最初は通貨の計算も感覚も分らず、レートもいつが良いのかすら分らず、分らないことだらけでした。


それでも、この分からなさやアウェー感、、、、空港から出た時の熱気やその国ならではの活気。


これは整然とした日本では味わえない雰囲気でした。


それを味わえただけでも、数々の死線をかいくぐって(ハブ空港で2回乗り継ぎしただけ)わざわざ来た甲斐もあるというものだ。。。。。



さて、たった一人で何のスキルもない自分はどうやって生きていくのか。


とにかく、海外(異文化圏)に存在しているというだけでサバイバル感があり、強烈な生を実感しました。


日本に居る間は精気もなく、どんよりしていたので。



何のスキルもツテもアテもない中、あらゆるものをそぎ落として、丸裸の自分に残されているものは何か?


自分のアドバンテージは何かを考えるよいキッカケとなりました。



究極の原点回帰。



「日本人であること」がたった一つの私のアドバンテージでした。


日本に居れば日本人なのが普通で、日本人であるということは何のアドバンテージにもなりませんし、それが自身の特徴になるなど考えたこともなかった。



そうか、自分は日本人であるということがここでの強み(差別化)となるのか。


それをどう活かして、異国での滞在を実りあるものにしようか?まずはそこからでした。


正解なんて知らないし、答えも用意されていない。


まったく検討がつかない中で、すべてがトライアンドエラー


日本での常識や価値観はまるで通用しない。日本語やかたことの英語すら通じない。


いざ異国の地に降り立ったものの、さぁ何も分らない。心細い。


まるで雑踏の中でヒヨコがうろついているようなものでした。

日本語しか話せないどころか国際線の乗り継ぎすら初めてでわからないような奴が、どうやって一人で海外に滞在するつもりだったのか?

日本から離れたい。日本人からも逃れたい。


価値観がマイナス過ぎてどうしようもなかったので、まずゼロに戻そう、せめてゼロにさえなってくれれば、、、、。


同じ環境に居て、同じ人と、同じ事をしているうちは価値観は変わりにくい。


何の変化もなしにただ”意志の強さ”をもっても、それを貫き続けるのはすごく難しいというより、ほぼ無理でした。


意思を出せば潰され、余計にマイナスに陥るという悪循環。


環境が変わるから→価値観も変わるのであって、


価値観が変わるから→環境も変わるというのもあるかもしれないけど、自分一人だけ価値観を変え続けるというのは至難の業だと思います。






それ以前に問題があり、ただ「日本から離れるために海外に行く」というだけの目的なので、ほぼほぼ勢いだけで動きました。


第一の目的地の国まで乗り継ぎも2回もしなければならなく。


乗り継ぎするだけで空港内のリニアやバスでターミナル移動ですか??? 徒歩圏内じゃないんですか???




、、、、、、、、、空港内で迷子になりそうという時点で既に不安MAXでした。




なんとか色んな人に聞きながら案内してもらいながら乗り継ぎゲートまでたどり着きましたが、満足に英語も読めない話せない小娘が一人で空港内をうろつくなんて、本当に心臓バクバクでした。


まるで子供のよう。


(後から感じたのが、「外で危険な目に遭わなかった」というだけで幸運というのは、日本に居る間は考えたこともありませんでした。
安心安全が普通だったので。日本から離れたい、離れたいと言っているわりに、今ではこの安心安全な日本というのは何にも代えがたいということなんだな、と言う事に気づけたので、”普通に”外を一人で歩けているというだけで恵まれているのだなとしみじみ思います。海外では”ただ歩いているだけ”で危険な目に遭うリスクは常にあります。)



ひとまず1回目の乗り継ぎは成功。




次もまたその主要空港で国際線の乗り継ぎ。。。。どうなることやら。

逃げることは悪いこと? 我慢すれば報われるって本当?

日本を出て、日本人とも日本の前時代的価値観ともオサラバしようと、日本脱出を企んでいましたが、


周りからすれば、それは日本から逃げることにうつるようです。


日本社会不適合(私)がついに日本社会に敗北したな、と。


「嫌なことから逃げるのは、根性がないからだ。」

「嫌なことから逃げるのは、我慢が足りないからだ。」


後ろ指を指されながら、負け犬のように自分の人生から逃げ続ける人生は絶対に嫌だと思いつつも、


私にとって海外へ行くのは土台を変えた「自分の人生に対する挑戦」でしたが、


周りからすれば、「無謀で意味の分からない行動」にうつったようです。







私の時代、私の田舎では、ずっと同じ会社でずっと同じ仕事をし続けるのがベストであり社会人の模範と言ったような、


職歴におては就職回数は少なければ少ない方がよく、長ければ長いほどいいという前時代的価値観=これがいわゆる「信用」だそうで、


信用って言っても、それは他人の物差しでいう社会的信用ってことでしょう?


他者からの評価のために、やりたくないことをして、我慢し続けて、その見返りとして評価してもらうって、


それって本当に自分の人生?それが本当に望む人生?


私の場合は「NO」。



「それは自分の人生とは呼べない」という結論が出ました。





従順で、模範的で、前時代的教育をモロに受けたとしても

それを自分の中に上手く取り込んで、日本社会のレールに乗り続けられるような器用な人なら、それはスムーズという点においては最善手なのかもしれない。


そして、それがいわゆる「正統」であり、「正解」なのかもしれない。





でも、私はそうなれなかったので、、、

他者からの評価を得られないなら、他者の代わりに自分でなんとかせざるを得ない。



でも、気持ちの面では薄々感じてはいるけど「実行」にはうつせない。


現実的に起業も出来ない。


個人事業主となり自分で自分の仕事を取ってくることもできない。


なんのツテもない。



でも、自分一人で出来ないから消去法として他者に頼り続けて、消耗して、不本意な事をし続けるというのは、、、、


そんなのやっぱり自分の人生じゃない。




自分の人生を取戻すために、完全に一人になる。


何度も何度も一人になる、リセットするなんてこのブログで言ってますが、


やはり完全にリセットするには、完全に自分の文化圏外で、完全に独りになって(出来れば共通認識のある人=日本人との接触は避ける)、とにかく、まったく自分とは無関係の環境に身を置くしかない。


それが一番シンプルな「強制リセット」なのだと思いました。


それでも、私の場合は「日本社会不適合者が日本から逃げ出す」という構図は変わりませんでした。




・同じ環境で我慢し続けて、我慢は報われるという保証はあるのか?


・逃げると言うことは、方向転換にはならないのか?





「逃げてはいけない」「逃げるのは悪いことだ」「辞めてはいけない」「辞めるのは悪いことだ」


幼少期の頃から耳にタコができるほど聞いてきました。


お門違いで場違いな場所で、ずーっと同じ事をし続けて、我慢し続けて、報われるという保証もないのに。




我慢すれば報われる?


中には反対に「我慢しないと報われない」ということもあるけど


する必要のない我慢をしても報われる保証なんてない。



する必要のある我慢と、する必要のなかった我慢。


我慢にも質というものがある。


「いつかは報われる我慢」と「いつまで経っても報われない我慢」を混同するから、消耗する。


今思えば、見極めもせず、する必要のない我慢をずーっとして、その結果報われずに自分で自分を苦しめていた当時の自分は、ただのマゾだったんじゃないかと思うほどです。



我慢の質の見極めが出来ていなかった当時の自分は本当に「思考停止」していたな、と思いますし、


分析もせず根本的改善に向けて考えない、”ひたすらに我慢し続けるだけ”で思考停止している自分を、思考停止していると認識していなかったのもおっそろしい事実ですね。


我慢の質の見極め、大事です。

既に意された環境で用意された人に囲まれて、そんな中で自分らしく生きれるか?って運ゲー要素多すぎるでしょ

「自分なり」の人生を生きていたり、「自分の好きなように」生きていたりすると、


やれ自分だけだの、自己中だの、勝手者だの言われることもなくはない。(というより環境によっては多い)

・周りはこんなに我慢しているのに、自分だけ我慢せずにフラフラして→同じ環境で我慢し続けることを選んだのはそちらだし、嫌なら我慢しなければいい方法を探せばいいでしょう

・いつまでもフラフラして(自分のお金でバックパッカーなどしてたので)→時間とお金をつくってフラフラ出来るものならしたらいいでしょう

・好きなことだけして生きていけるわけがない。世の中嫌なことの方が多い→好きを選ばず嫌なことばかり選択しているのは自分でしょう

・世の中そんなに甘くない→甘くないなら自分で甘くしたらいいでしょう




私は「自由=自分勝手」というのではなく、


「自由=自分に裁量権がある」という概念で生きているので



自分でお金を貯めて、自分で時間作って、自分の好きなことして、自己完結してるつもりですが、



何がそんなに厳しくて苦しくて甘くない世の中が普通となったんでしょうね。


みんな~と言った同調圧力、周囲と違うことをしているという異質さ。。。


昔は思いっきり「自分だけ」ということに罪悪感を感じていましたし、


浮けば何しても批判されるので自分の行動を正当化することばかり考えて、つじつま合わせ、言い訳ばかりしていました。責められないように。


それでも、ずーーーっと周りに自己弁解したり、正当性を訴えたり、反発したり、説明したり、と


ひたすら”周りに向かってアプローチ”をしていましたが何の効果もなくただ疲れて、嫌な思いをしただけという数年間、ただただ無駄な時間を消耗して終わりでした。



他者へのアプローチが足りないからだ、もっとわかりやすく説明しなければ、言い続けたら分かるかもしれない。



とひたすら他者へのアプローチし続けて結果を出そうというのは、、、



単なるごり押しと言いますか、自身の幻想と言いますか、自身の淡い期待と言いますか、、、、


私がするべきことは、ひたすら理解を求めるための他者へのアプローチではなく、




周りの人に対してどうこうして欲しいという思いはすっぱり辞めて、「自分の環境は、自分でつくる」しかない。というマインドチェンジでした。



自分が自分らしく生きられないような環境で、自分らしく生きようというのは、それはすごく難しい。


じゃあ、自分に合った環境とは?自分に合った生き方とは?



他者と向き合うばかりで、自分と向き合ってこなかった。


他者の言葉に振り回されるばかりで、自分の人生を自分が責めていた。


用意された環境で、用意された人たちで、用意された範囲内で狭く生きていた。


自分の人生に対して無責任だった。



自分に合ったもの、自分に合った人、自分に合った環境などを知らなかったから、元々生まれながらに与えられていた環境にずっと留まり続けていました。



何より怖かったのが、「そんな環境でも、慣れてしまえばそれが普通、通常となるので、”疑問にすら思わなかった”」ということ。



そうしてまず、他者へのアプローチから、自分の内面へのアプローチを始めました。


責めてくる人を責めない人に変えるのは難しい。


じゃあ、責めてこない人がいない環境に身を置けばいいのではないか?ということにすら


生まれ故郷、同じ環境に居るうちは気づかなかったのです。


世の名言の一つに「狂気とはすなわち、同じ事を繰り返し、違う結果を期待すること」というものすらある。(当時はまだ知らない)




そうして、世の中(自分の中の狭い世界)は、批判的な人ばかりだ。という思い込みまでありました。


20代半ばで何なら、もう人生を閉じたい、終わらせたい、消えてなくなりたい、という超マイナスのエネルギーが爆発寸前になったので


軽い言い草になりますが、自分の人生を自らの手で閉じるかどうかの瀬戸際まで行った超マイナスエネルギーを人生を変えるための一念発起に変換しました。




そうして、何もかもが嫌になり、20代半ばで自分を根本からリセットするために


家から、地元から、、、、


いや、地元を離れるだけで日本国内に居ると他の日本人や日本の風習そのものまではでリセットできない。。。。。


消去法で海外に行くしかない。


そうして自分の人生強制終了の手前、日本社会から飛び出してまったく縁もゆかりもない海外に一人で行きました。

従業員なんてやってられるか

まず今私は完全出来高制の在宅ワークをしています。すべて自分の裁量で動けるので、心の平穏を感じています。



店舗で一販売員として働いていた頃は、

・きっかり0分から始まるタイムカード制度(能力と言うよりも時間の切り売り)

・固定給(稼げる金額に上限がある。残業は基本しない)

・通勤時間の無駄(片道1時間半かけて通っていたことも)

・自分のタイミングで休憩出来ないこと(周りに対していちいち考慮しなければいけない)

・その日仕事が終わる終わらないとに関わらず”退勤時間まで”居続けなければいけない事(特に生産性がないということ)

・関わる人間を選べない(雇われている以上、個人の選択権や裁量権がない)

・モンスター客が相手でも断れない(そもそも断るという選択肢の自由がない)

・一緒に働くチームは会社任せの運ゲーであり、運要素としかいようがない(自分でパーティが出組めない)

・社内に嫌な奴がいても勝手に出勤してくるので物理的距離が取れない(もちろん来るなとも言えないので)

・マニュアルがあると気軽にトライアンドエラーが出来ない

・変化、改善よりも固執

・挑戦よりも防御


などなどなど、挙げればキリがないのですが、


すべてに共通して「個人の裁量で動けない」「何かと0分キッチリスタート」「選択の自由がない」ということが会社勤めが出来ない一番の理由かなと思います。


他人に用意された環境で、他人が当てがってきた人と、他人の決めたルール内で働くというのは、ずーーーっと苦痛でしたが、


周りの誰に聞いても世の中的にはそれは「普通」のことらしく、

作業に着手した時間からのスタートでなく、00分キッチリスタートというのもわかりやすくて明確以外の意味が見つからないし、同じ1時間働くとしたら00分にスタートて00分に終わるのでなく、2分にスタートして2分に終わるのはあかんのかと、この2分の差って何が何でも譲れないものなのかと、

「上司だから言うことを聞け」という一言で済ますなら、じゃあこっちも上司選ぶ権利くれよ、お前は選ばねーから。という主張も出来るわけもなく



他人に用意された舞台で、他人の決めたルールで、他人に合せて動くということの苦痛よ。

これは「自由」とはほど遠い働き方。でもそれが普通。自分が変。とずっと思っていましたが、


真剣に自己分析をしてみて、脱サラするぞと意気込んで仕事を辞めて時間が出来たので独学で勉強し、ずっと「自分は変」と思っていたことが実はそれが「自分の個性」なのだと思えるようになりました。


変が個性ってなんやねんですが、


そうして、ずーーーっと、何年も何年も、10代20代の輝かしい期間も「自分で自分の個性を潰す」という事を自分がしてきたのだと実感しました。


このままではいけない。どうせすぐ嫌になって辞めるんだから安易に再就職はしないぞ。

ということで知識をつけて在宅(通勤しなくて良い)で報酬制(上限がない)の仕事をするのだ。と決意してから勉強を始めて1年、なんとか在宅ワークで利益を出せるようになりました





それも、一つの通過点でしかないと言うことを実感しました。



その記録を残していこうと思います。