既に意された環境で用意された人に囲まれて、そんな中で自分らしく生きれるか?って運ゲー要素多すぎるでしょ
「自分なり」の人生を生きていたり、「自分の好きなように」生きていたりすると、
やれ自分だけだの、自己中だの、勝手者だの言われることもなくはない。(というより環境によっては多い)
・周りはこんなに我慢しているのに、自分だけ我慢せずにフラフラして→同じ環境で我慢し続けることを選んだのはそちらだし、嫌なら我慢しなければいい方法を探せばいいでしょう
・いつまでもフラフラして(自分のお金でバックパッカーなどしてたので)→時間とお金をつくってフラフラ出来るものならしたらいいでしょう
・好きなことだけして生きていけるわけがない。世の中嫌なことの方が多い→好きを選ばず嫌なことばかり選択しているのは自分でしょう
・世の中そんなに甘くない→甘くないなら自分で甘くしたらいいでしょう
私は「自由=自分勝手」というのではなく、
「自由=自分に裁量権がある」という概念で生きているので
自分でお金を貯めて、自分で時間作って、自分の好きなことして、自己完結してるつもりですが、
何がそんなに厳しくて苦しくて甘くない世の中が普通となったんでしょうね。
みんな~と言った同調圧力、周囲と違うことをしているという異質さ。。。
昔は思いっきり「自分だけ」ということに罪悪感を感じていましたし、
浮けば何しても批判されるので自分の行動を正当化することばかり考えて、つじつま合わせ、言い訳ばかりしていました。責められないように。
それでも、ずーーーっと周りに自己弁解したり、正当性を訴えたり、反発したり、説明したり、と
ひたすら”周りに向かってアプローチ”をしていましたが何の効果もなくただ疲れて、嫌な思いをしただけという数年間、ただただ無駄な時間を消耗して終わりでした。
他者へのアプローチが足りないからだ、もっとわかりやすく説明しなければ、言い続けたら分かるかもしれない。
とひたすら他者へのアプローチし続けて結果を出そうというのは、、、
単なるごり押しと言いますか、自身の幻想と言いますか、自身の淡い期待と言いますか、、、、
私がするべきことは、ひたすら理解を求めるための他者へのアプローチではなく、
周りの人に対してどうこうして欲しいという思いはすっぱり辞めて、「自分の環境は、自分でつくる」しかない。というマインドチェンジでした。
自分が自分らしく生きられないような環境で、自分らしく生きようというのは、それはすごく難しい。
じゃあ、自分に合った環境とは?自分に合った生き方とは?
他者と向き合うばかりで、自分と向き合ってこなかった。
他者の言葉に振り回されるばかりで、自分の人生を自分が責めていた。
用意された環境で、用意された人たちで、用意された範囲内で狭く生きていた。
自分の人生に対して無責任だった。
自分に合ったもの、自分に合った人、自分に合った環境などを知らなかったから、元々生まれながらに与えられていた環境にずっと留まり続けていました。
何より怖かったのが、「そんな環境でも、慣れてしまえばそれが普通、通常となるので、”疑問にすら思わなかった”」ということ。
そうしてまず、他者へのアプローチから、自分の内面へのアプローチを始めました。
責めてくる人を責めない人に変えるのは難しい。
じゃあ、責めてこない人がいない環境に身を置けばいいのではないか?ということにすら
生まれ故郷、同じ環境に居るうちは気づかなかったのです。
世の名言の一つに「狂気とはすなわち、同じ事を繰り返し、違う結果を期待すること」というものすらある。(当時はまだ知らない)
そうして、世の中(自分の中の狭い世界)は、批判的な人ばかりだ。という思い込みまでありました。
20代半ばで何なら、もう人生を閉じたい、終わらせたい、消えてなくなりたい、という超マイナスのエネルギーが爆発寸前になったので
軽い言い草になりますが、自分の人生を自らの手で閉じるかどうかの瀬戸際まで行った超マイナスエネルギーを人生を変えるための一念発起に変換しました。
そうして、何もかもが嫌になり、20代半ばで自分を根本からリセットするために
家から、地元から、、、、
いや、地元を離れるだけで日本国内に居ると他の日本人や日本の風習そのものまではでリセットできない。。。。。
消去法で海外に行くしかない。
そうして自分の人生強制終了の手前、日本社会から飛び出してまったく縁もゆかりもない海外に一人で行きました。